回想医家芸術

昭和28年9月、オランダへのヘーグで世界医師大会が開催され、その際、国際医家美術展も併せ開くから、日本も参加するようにオランダ医師会より日本医師会に勧誘があった。日本医師会は、その主旨に賛同して、出品準備にとりかかった。医師会長より、式場さんに依頼があり、オランダ出品のための実行委員会が結成され、出品に先立って、六月に日本橋丸善に於いて、出品展示会を開くに至った。従って、この展示会は、日本医師会主催、後援日本医事新報社であった。しかし、けっきょく、現在の医家美術展の第一回展ともなったのである。このときの参加者は、75名で東京と地方とで、約半数ずつであった。この中、26点の作品が国際美術展に出品されたが、世界各国より出品された二百余点の中で、日本は総合的に1位を獲得した。オランダの主な新聞は、いずれも日本作品を賞讃し、とくに、古川、丸山、沖田、長瀬、歳田、佐野、木下等の名をあげている。これらの全作品は恰もオランダが水害を受けた後だったので見舞いと親善をかねて、閉展後、オランダ政府に寄贈することとなった。今でも、オランダの病院、役所等に分散保存されているはずである。
 この医家美術展を基にして、医家芸術クラブが、発展的に結成されることとなる。本誌「医家芸術」が創刊されたのは、昭和32年9月であるから、その間、約4年余を経過している。
 第2回展より、日本橋三越の好意により、会場が借りられることとなり、毎年、7月〜8月の盛夏に開いて現在に至っている。
 昭和34年、第15回日本医学総会が東京で開催された時は、その協賛記念展を、銀座松坂屋で開催し好評を得た。
 昭和37年、第10回展を記念して、国際医家美術展を開催した。準備期間が短くて参加国の数は少なかったが、スイス、オーストラリア、インド、スペイン、トルコ、中国、朝鮮、の参加を得て、国際色豊かな記念展を開くことができたのは、誠に画期的なことであった。
 今年は、第13回展を8月にすませたが、15回の記念展の企画も立てなければならぬ時期にきており時の流れの速いのに驚かされる。出品者の数は、年々多くなり、一方、会場の壁面には限りがあるので、次第に画面の大きさを制限しなければならぬことは、不本意なことである。始めの頃のように、3・40号の力作を並べられないのは、現在の出品者数が、120名〜140名の間を前後している実情から仕様のないことである。
 出発当初より、暖かい眼でみまもって頂いた日本医師会、日本医事新報社、諸製薬会社に感謝したい。日本医事新報社は、毎年、展覧会直後に、グラビアで医美展の作品を4ページにわたって掲載され、全国医家に誌上展を提供されている。誠に、貴重な御援助である。
 出品の常連から年々物故者を出していることは淋しい限りである。深味貞治、豊島豊、藤田宗一、岡部敢、橋爪一男、式場隆三郎の諸先生の作品は、二度と壁面をかざらない。

(昭和41年・1月)